2章 眠れる紅玉(スリーピィルビー) 引きこもり。世間では私のような生活をしている人をそう呼ぶ。思い出したくもない事件のせいで、私は学校どころか外出さえ拒否する生活をしていた。両親は共働きで放任主義のため、私の世話は老齢のメイドがやっていた。メイドは衣食以外には干渉してこないため、私はいつも好きな時に起き、好きな時に眠るという怠惰な生活をしていた。そんな生活の中でやりはじめた「エルダーテイル」は、私が外に目を向ける唯一の窓だった。 「お、霊媒師って珍しいな。ソロなのか? よかったら俺と組まないか?」 ビッグアップルからミナミへ転移し、中央掲示板を眺めていた時に、そのアバターに声をかけられた。ステータス表記を見ると、職業は守護戦士、種族は狼牙族、所属ギルドの欄は空。名前は・・・「狼虎」と表示されている。 「Wolf-Tiger?」 「お、外人さんか? ヤマトサーバに来てるってことは、日本語はわかるんだよな?」 「Yes・・・ええ、まあ。」 「俺の名前は、狼に虎と書いてロコって読むんだ。」 「ギルドに所属してないみたいだけと、ソロなの?」 「いや、この前までパーティ組んでたんだけどな、メンバーが集まらなくなってな。最近じゃソロはあんまりいないから、組めそうなやつを探してたんだ。」 引きこもりの私には、自分から声をかけるのが難しかった。いろんなパーティに誘われて参加し、レベル上げをやったけれど、途中で気後れしてパーティを抜けるということを繰り返した。その内、誰からも誘われなくなってしまった。ミナミへ転移したのは、気分を変えるためと、母の故郷である日本が、エルダーテイルでどんな風になっているのか、興味が湧いたからだった。私のアバターの職業は霊媒師。ヤマトサーバでは神祇官(カンナギ)と呼ばれる回復職の1つだ。誘ってくれているのは守護戦士。こっちは後衛、あっちは前衛。組む相手としてはちょうどいい。 「・・・いいよ。ヤマトを案内してくれるなら。」 「いいとも。じゃあよろしくな。で、どこに行きたいんだ?」 「富士山が見たい。」 「富士山? OK。じゃあプランを練ろうか。」 これがロコとの出会いだった。 後に大災害と呼ばれる現象に巻き込まれた時は、混乱よりも妙な解放感があった。意識がはっきりした時、視界に浮かぶウィンドゥと、その向こうにある風景を見て、憧れの別世界に来たのだと、気分が高揚していた。突撃してくるコブリンに攻撃魔法を放つ。一撃で虹の泡と消えたコブリンを見て、ああ、ゲームと同じだ。このレベルなら余裕だよねと思った。だが現実は甘くない。残ったゴブリンの突撃を見て、私の足は固まってしまった。恐怖に上書きされた体は、動こうとしない。私は引きつった笑みを浮かべていた。ロコには今の私がどう見えているだろうか。 「アンカーハウル!!!」 私とゴブリンの間に割って入ったロコが叫ぶ。剣と盾を打ち合わせ、ゴブリンを挑発するロコ。私は金縛りが解け、エルダーテイルのルールを思い出した。ヘイトと呼ばれる値があり、それによって狙われる順位が変わることを。ロコは守護戦士のセオリーどおりの行動で、自分に注意を引きつけることに成功していた。ゴブリンの意識はすべてロコに向いた。 ロコは挟撃されないように木を使って一度に3体以下しか相手をしないように誘導しながら戦っている。ゲームの中ではコマンドを選ぶだけだったけど、今ならどうやれば思うように魔法が使えるかわかる。 「Reduce Wall!!」 ロコに障壁の魔法をかける。横から入ったゴブリンの一撃は、その障壁に弾かれた。 「Strike of Mirror Spirit!」 すぐさま攻撃魔法に切り替えて、大木を回り込むゴブリンを迎撃した。放たれた粒子は鏡の精霊となりゴブリンを一撃で屠る。精霊は消える前にゴブリンから奪った生命力をロコに投げ渡した。3分の2ほどになっていたロコのHPゲージが、これで回復する。 実際には5分にも満たない戦闘だったと思う。6体ほど倒したところで、ゴブリン達は我先にと逃走した。私はまた座り込んだ。頭がくらくらする。ロコは肩で息をしていた。彼の鼻がひくひく動いているのが見えた。そういえば嗅覚系スキルでエンカウントの先読みができるとか前に言っていたことを思い出した。抜刀したままのところを見ると、まだ警戒しているらしい。 「・・・リアン、移動するぞ。」 「え?」 「急がなくていい。ゆっくりでいい。」 「どういうこと?」 「いやな予感がする。俺の予想が外れているかどうか確認するためだ。」 とりあえず立ち上がり、徒歩で移動を開始した。ロコはまだ剣を収めない。まだ警戒状態ということらしい。自己紹介では筋力偏重ビルドだと聞いた。筋力と近接攻撃力に特化し、正面からの殴り合い専門とのことだった。でも実際に行動すると筋肉バカではないことがよくわかる。訳のわからない環境のはずなのに、ぼーっとしている私と違って次の手を考えている。こういう時のロコの行動力には頭が下がる。私は彼の役に立っているのだろうか? ロコが手で私を制したのに気付いてふと我に返った。 「ロコ?」 「・・・思った通りだ。」 「・・・説明して。」 「さっきのゴブリンどもは偵察隊のようだ。本隊らしい大集団が別にいる。」 私はまだ頭が回っていない。ロコの話がよくわからない。 「倒しきれなかったのがまずいな。増援を連れてさっきより多い数でもう一度来るかもしれない。」 「ただのランダムエンカウントじゃないってこと?」 「そうだ。」 先ほどは地形を上手く使って戦えたが、あれより数が多いと戦況を制御しきれない。 「俺たちは今、奴らの風下にいる。今のうちに距離を取ろう。」 「どっちへ行くの?」 「わからん。くっそ、フィールドマップが使えればな。」 とりあえずロコの勘を頼りに移動を開始する。ロコの歩幅は大きすぎ、私は遅れ気味だった。ロコは文句も言わず、私が追い付いてくるのを待ってくれる。慣れない森の中が私の歩みをさらに遅くさせていた。 「ワォォォォォゥゥゥゥ」 遠くで遠吠えが聞こえた。 「ますいな。ゴブリンライダーがいるのか。」 コブリンライダーとは、ダイアウルフという狼の魔獣にまたがったゴブリンのことだ。ダイアウルフによって探知範囲と移動力が強化されており、低レベルのキャラクターでは数体でも苦労する相手だ。今の私たちなら蹴散らすことは可能だが、さっきよりも多い数となると凌ぎきれない。 「ちょっと持っててくれ。」 ロコはもっていた盾を私に渡した。意外に重い。私には文字どおり荷物だった。ロコは周囲の蔦を何本か切ると、地面から30cm程度の高さで、木と木の間に張るという行動を繰り返した。 「何してるの?」 「足止め用さ。俺のサブ職業は罠師なんでね。」 そして、遠吠えが近づいてきているのに気付いた。 「いくぞ。」 ロコは急ごうとしているが、私はどうしても、もたもたしてしまう。そうこうしている間に、遠吠えに地鳴りが混ざる音が聞こえてきた。私は振り返りながら数を把握しようとしてみた。瞬間的に知覚できただけでもゴブリンライダーが10体はいた。ダイアウルフとゴブリンを別に計算すれば20体ということになる。その後方にもまだいるようだった。ロコにそれを伝えようとして・・・私は転倒した。木の根に足を引っかけたらしい。次の瞬間、私の体はふわりと浮かびあがり・・・ロコの腕の中にいた。 「舌を噛むなよ!」 ロコは全力疾走しているようで、周囲の木々が飛ぶように後ろへ流れていく。私はお姫様抱っこ状態だった。ダメだ。これは恥ずかしい。でも私はロコにしがみついているしかなかった。ここはもう居心地のいい部屋じゃないのに、私はまだ引きこもりのままだった。私に何かできないだろうか。攻撃魔法をかけようにも照準が定まらない。ロコの肩越しには、私たちを完全に追走してきているゴブリンライダーが見えた。移動速度は圧倒的にこちらの負け。追い付かれるのは時間の問題だった。ふと視界の端に燐光を放つ空間が見えた。 「ロコ、左前方に妖精の輪(フェアリーリング)が!」 「よし、それだ!」 ロコは木が盾になるコースをとりながら妖精の輪へ走る。それでも3体のゴブリンライダーが並走状態になった。とっさに障壁の魔法を張る。ダイアウルフの牙が襲い掛かった。1体目と2体目は障壁でブロック。しかし、3体目のダイアウルフは障壁を砕いて、ロコの背中に牙を引っかけた。 「食らうかよ!!」 ロコは体を捻ると、肩の厚い鎧の部分でダアイアウルフの牙を弾いた。この動きは守護戦士のダメージ軽減スキルだ。私たちは泥と木の葉をまき散らしつつ、起動している妖精の輪へ飛び込んだ。 |
【解説】 ・「Reduce Wall!!」・・・神祇官の「禊の障壁」です。訳の正確さについてはご容赦を。 |