2−5 疾走と疾風 孤児院での消灯時間が過ぎた頃、アヤカはこっそりと学校のジャージに着替えて部屋を抜け出した。電気がついていない暗い廊下だが、今のアヤカにはその暗さがまったく気にならなかった。廊下からそれぞれの部屋に何人いて、寝息を立てているかまでわかる。院長先生の部屋からは明かりが漏れているが、アヤカには寝息が聞こえていた。どうやら椅子でうたたねをしているらしい。新たに強化された知覚力をフルに使用して周囲を確認する。今なら抜け出しても誰にも気づかれないだろう。ふと、水音に気が付いた。どこかで蛇口の閉め忘れがあるようだ。目を閉じ、嗅覚に集中する。水の匂いが漂ってくるのはトイレだった。トイレのドアを開けると、洗面台の蛇口の1つがポタポタと水をしたたらせていた。アヤカはその蛇口を閉めると、音を立てないように孤児院を出た。 時間は22時。女子中学生が出歩いていい時間ではない。今のアヤカはまったく眠気がなかった。寝付けないというのが正しいのだろう。アヤカは自分の体から放出される黄金の粒子がまだ消えないことに驚愕していた。無尽蔵に力が溢れてきている感じがする。アヤカは近くにある大きな川の土手まで歩いてきた。ここは多くの人にランニングコースとして使われている。アヤカは屈伸運動やストレッチを始めた。 「(ねぇ、ちょっと本気で走ってみていい?)」 『ああ、でも無理はするなよ。ちょっとずつペースを上げていくようにな。』 「(わかった。)」 フォスはアヤカの肩から離れると、近くの街灯の上に降り立った。アヤカはそれを確認すると、ゆっくりとペースを上げながら走り始めた。100mほど走ったあたりからペースを上げる。いくらでも加速できそうな気がして、アヤカはペースを上げていく。そして自分でも信じられない速度で走っていることに気付いた。周囲の風景が猛烈な勢いで後ろに流れていくが、アヤカの強化された知覚力は、足元のグリップ感や曲がった道の先をちゃんととらえていた。 水位の低下で川底が見えているところまで来ると、アヤカは試してみることにした。スピードを落とさずに土手を下ると、川べりから対岸へ向かってジャンプする。スピードが乗ったジャンプなので、緩やかな放物線を描いて上昇するが、その到達頂点は5mを超えていた。アヤカには踏み切る前から確信があった。着地したのは対岸の土手。それは直線にして約10mの距離を一度に飛び越えたことを意味していた。アヤカは速度を落とさずに走り続け、折り返しに想定していた橋を渡ると、速度をさらに上げてフォスのいる所まで戻ってきた。 『お帰り。』 「(ただいま。・・・なんか私、とんでもないことができるようになっているよね?)」 『そうだな。・・・あれだ、「疾風迅雷」って感じだな。』 「(ちょっと時間を計ってみるね。)」 アヤカは視覚に集中すると、土手に立っているキロポストの標識を確認した。土手の草に邪魔されない範囲で見える距離だと、約1.5kmまでが限界だった。フォスのいる地点をスタートとし、往復3kmを今出せる全力で走ってみることにする。手にしているのはアナログの腕時計だった。正確な秒数はだせないと思うので、おおよその目安とする。 アヤカはクラウチングスタートの態勢になると、腕時計を確認。秒針が0秒に来たところでスタートした。疾走するアヤカの数m後ろで土手の草がざわつく。戻ってきて時計を見ると、2分ほどしか経過していなかった。アヤカは移動速度を計算してみる。 「(えっと、3000mで120秒とすると・・・時速90km? なにこれ?)」 『・・・なんか変な臭いがしないか?』 「(そういえば・・・あ!)」 臭いの元はアヤカの靴だった。一番底面のソール部分がほとんどなくなっており、その次の層の部分から焦げたような臭いがしていた。これでは使い物にならない。 「(靴どうしよう。買ってもらえないよね。お小遣い切り詰めないと・・・)」 『心配はそっちかよ。』 |