1−1 妖精郷の崩壊 そこは高さ数千メートルの崖に周囲を囲まれた、細長い谷だった。谷といっても崖から崖の間は十数キロメートルあり、谷といっても百キロメートル近い長さがある巨大なものだ。ここには多数の妖精が住み、自然の恵みを得ながら自然と一体化した生活を営んでいた。この谷は妖精郷と呼ばれていた。”ウィル・オ・ベイロン”という名で知られる妖精王が、その強大な力で次元の壁を押し開き、妖精たちを害するものたちから隔離する空間を作った。ゆえに自然にできた谷ではなく、混沌という無限の空間の中に浮かぶ小島のようなものだった。妖精郷といっても1つではなく、複数ある。いくつかの世界や他の妖精郷と、ごくわずかな空間の接点でつながっている。この接点は巧妙に隠されており、その出入りの方法を知るのは、その門番であるエルフの妖精騎士とその愛馬たる妖精馬モノセロスだけだった。 牧歌的な生活好む妖精たちだけの世界。争いもなく平和な時が流れる世界だったが、それが別次元からの侵入者によって破られた。現れたのは「魔神」。魔界と呼ばれる闘争の世界の出身であり、炎を操る力を持っていた。妖精郷にとって炎は最大の弱点だった。自然の恵みがあれば火をおこす必要はなく、夜は月や星、蛍などの光蟲がいれば明かりは事足りた。魔神が放った炎は、瞬く間に森を焼き、火災が谷を埋め尽くしていく。守護者たる妖精騎士は懸命に戦ったが、魔神の力は圧倒的だった。最後の一人の妖精騎士が炎の中に倒れると、他の妖精たちはパニックになり、我先にとその妖精郷を脱出し始めた。もはや魔神の侵攻を止めるものはおらず、その妖精郷の消滅は時間の問題だった。 妖精竜(フェアリードラゴン)。細長い体躯に、揚羽蝶のような羽を持つ小型のドラゴンである。妖精郷の中でも数体しかいない希少種で、竜の血を浴びたといわれる「龍華蘭」と呼ばれる赤い花から生まれる。この花は数百年に一度しか咲かない。もっとも、何百年も平和だった妖精郷には、全部で5匹の妖精竜がいた。フォスはその中でも最も若い妖精竜だった。争いもなく、自然の恵みだけで何不住なく生活できるため、どれものんびりとした平和な性格のものばかりだった。そんな中、フォスは好奇心から妖精郷の門の観察を初めた。百年あまりかかって、その仕組みを理解し、最後には次元の門を開くことができるようになった。 炎を操る魔神がやってきた時、フォス以外の妖精竜たちはみんな逃げ腰だった。そのうちの一匹は真っ先に逃げようと主張。最後の妖精騎士が倒れると、そのパニック症状は妖精竜たちにも伝染した。フォスは最後まで踏みとどまり、他の妖精竜や妖精たちが、別の次元にある妖精郷に避難できるよう、次元の門を開き続けた。 炎で森が灰と化すと、その左右の崖がゆっくりと合わさるように押し寄せてきた。崖同士が衝突したところから、空間そのものが消滅する。森の力で支えられてきたこの谷は、文字通り消滅し始めた。炎が森を焼き尽くす速度が上がり、谷全体に地震のような振動が走る。それは妖精郷の消滅速度が速まっているということでもあった。灰と化した森の中を進んでくる魔神を見たフォスの心には、生まれて初めて怒りの感情が沸き上がっていた。仲間や妖精たちを避難させるための次元の門を開き続けたため、彼はかなり消耗していた。そして万全の状態であっても、この魔神を倒すのは、自分には不可能だということも悟っていた。迫りくる魔神と消滅していく谷。それを目に焼き付けつつ、最後の力をふり絞って自分が脱出するための次元の門を開いた。 |